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紅シリーズ2
めーさく過去
「今夜は積もりそうですねぇ。よかったら、私と温かいお茶でもいかかですか?」
その日
初雪が降った。
寒さを凌ぐ家もなく、ただ人気のない町を歩きつづけ日が沈んだ頃には足の痛みに耐えきれず
いつのまにか町外れまでまできていたこの身を、どこかもわからない小道の脇の木に預けていた。
朦朧とする意識のなか、その声ははっきりと届き、見上げた先には
紅。
紅、紅、紅。
鮮やかなそれは、一瞬で恐怖を呼び起こした。
次の瞬間には持てる限りの力で、持っているナイフをすべて投げた。
手を少し伸ばせば触れるほどの至近距離。
全て相手に突き刺さった。
「くっ…!」
その人は顔を歪めて膝をつき、漏れる声を必死に抑えているようだった。
あぁまたやってしまった。
それを見ながら
冷静にそれだけを思った。
近づいてくるからいけないの
そんな綺麗な紅を連れてくるから
だから、死んでしまうの
だから
殺してしまった
そう思ったのに。
「っぅ…ぁっ…ぐ…」
1本、また1本と。
刺さったそれらを痛みに歯を食いしばりながら抜いていくではないか。
そして全て抜き終えたとき、再び向けられたのは
「はっぁ…これはさすがに、きついですね、はは…。ごめんなさい…びっくり、させてしまいましたか?」
引きつった
笑顔。
「な、んで…」
平気なの?
どうして笑っていられるの?
どうして、謝るの?
「わ、たしは…」
殺そうとしたのに。
確かにあなたを手にかけようとしたのに。
わたしは
…知らないのに。
その笑顔の意味するものを。
私は微塵も知らないのに。
「っ…」
なんの前触れもなくこぼれた涙は悲しさからか
嬉しさか、後悔か。
よくわからないそれは全身をかけめぐった。
恐る恐る近づいて
ゆっくり、ゆっくり手を伸ばす。
そして
震える指先が頬に触れた瞬間。
冷たい頬の、わずかに残る熱を感じた瞬間。
一気に全身の力が抜け
真っ白な世界へ
堕ちた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めたとき、自分はふかふかのベッドの中にいた。
ここは、どこだろう。
「おや、目が覚めましたか?」
「っ!」
突然現れた気配に、反射的にナイフに手を伸ばす。
が、ない。
「あぁナイフですか?全部拾って磨いておきました。」
そう言う視線を追ってみたテーブルの上。
向きも角度も規則正しく、それは丁寧に並べられていた。
しかも、そんなに綺麗に光るナイフたちを見るのは
はじめてだった。
今度は視線をその人へ。
その紅は確かに
先ほど自分が、今では輝きを放つあのナイフたちを投げつけた相手だ。
「ずいぶん服が汚れているようなので、お風呂に入ってどうぞこれに着替えてくださいね。」
笑顔で、服を持った両手を少し挙げる様子に
ふと、違和感を抱く。
「あなた…傷は?」
あれだけの出血をして、傷も深かったに違いない。
なのに目の前のこの人はどうだろう。
怪我をした様子はどこにもない。
「あぁ…。」
――妖怪ですから。
「っ…!」
なんということだろう。
実に爽やかに言ってのけた妖怪とは逆に
妖怪、という単語に一瞬で恐怖が湧き上がった。
ナイフは見える位置にある。
時を止めれば、逃げられる。
敵を見るように目の前の妖怪を見つめた。
「あはは、食べたりしませんよ。」
そう困ったように笑うが、信用はできない。
だって人間を助ける理由なんて
この妖怪にはないのだから。
「お風呂はここです。使い方とかなにか分からないことがあったら呼んでください。」
しかし、私の殺気を気にする様子もなく
まるで客人をもてなすように丁寧に接してくる。
「……。」
視線を外さないようにベッドから降り、机の上のナイフをすべて回収し
全神経を妖怪の動きに集中させ、その手から服と真っ白なタオルを受け取る。
妖怪はその様子に苦笑いを浮かべて、脱衣室へとつづくドアまで歩み寄り
ゆっくり温まってくださいね、と開けてくれた。
胡散臭い妖怪だ。
とりあえず中を確認したところ本当に風呂のようなので
ドアを閉めて離れていく足音に、小さく溜息をつく。
たしか今年も忌々しい雪を外で眺めて過ごす予定だったのに。
変な妖怪もいたものだ。
もう一度溜息をついて
護身用にナイフを何本か持って浴室へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
久しぶりのゆっくりとした入浴は、いとも簡単に緊張を緩ませた。
つま先が目に入り、そういえばあの妖怪に出会ったときは寒さで真っ赤になっていて
裸足で歩きつづけて小さなすり傷や切り傷もたくさんあったのに
凍傷にもなっていないし、傷もすっかり消えていて
ずいぶん綺麗だなと思った。
洗い流した身体も、髪も、思っていたよりまだ綺麗だった。
身体といえば、どうやって私をここまで運んだのだろう。
あの妖怪が、あの血まみれの身体で、運んだのだろうか。
だったら
なんて馬鹿な妖怪。
……あがろう。
風呂場にこもるふわりとした匂いが
少しだけ名残惜しかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
脱衣室に置かれていたタオルはとてもふわふわしていて、思わず顔を沈めた。
着替えは私にあうサイズを用意してくれたみたいだが、やっぱり少し大きかった。
それからもう一度気を張って
ナイフを隠し持って部屋へ戻る。
そして視界に入ってきた妖怪を見て
思わず手の力を緩めた。
「あっあがりましたか?ちょうどいい。食事の用意ができたところなんです。」
どことなく嬉しそうな笑顔で皿を並べているテーブルには
隙間なく料理が並べられていた。
「何が好きか分からなかったので、とりあえずたくさん作ってみたんです。さぁ食べましょう。」
鼻歌でも聴こえてきそうなその表情に
太らせて食べる気だろうか
毒でも入っているのだろうか
と、最悪の事態を想定しつつ、引かれた椅子に座った。
それを確認して妖怪も向かいに座る。
「いただきます!」
「…いただき、ます。」
とりあえず近くにあったものをとってみる。
しかし、何か薬を混ぜられていないだろうかと、なかなか口に入れることができず
チラッと向かいを見てみると、まるで育ち盛りというように美味しそうに頬張っている姿があった。
まさに食欲旺盛。
それを見て、恐る恐る口に入れてみる。
「おいしい…」
疑心からか、少し遅れて分かったその味は
文句なしに美味しかった。
それから黙々と手と口を動かしつづけ、自分もこんなに食べれるんだと
自分もまた、育ち盛りの子どもだということを思い出した。
食事の片付けが終わってからは、妖怪はずっと窓の前に立って外を眺めていた。
私は椅子に座ってすることもなく、この隙に逃げようかとも考えたが
窓から見える限り雪は降り続いていて、こんな夜中に逃げるのも得策ではないと判断した。
「雪、強くなってきましたねぇ。」
静かに呟く声も穏やかで、今日中は殺されることもないかと
なんとなくそう思った。
「寒くありませんか?」
毎年、隙間風の入ってくるようなところで過ごしていた私にとって
ここは天国のようだった。
「…だいじょうぶ。」
そう答えると安心したように微笑んで
それっきり、また妖怪は静かになった。
部屋を見渡すと、これといって派手なものもなく
質素な生活をしているんだろうなとうかがえた。
それからしばらくして、なんの反応もなかった妖怪は、窓を離れて私に近づき
そっと頬を撫でた。
一瞬、ナイフに手が伸びそうになったが
それがあまりに優しい笑みで。
まるで花に触れるように、優しく、触れるから。
中途半端な状態で止まってしまった。
「こんなに白かったんですね。」
私の瞳を見つめる妖怪の声には
不覚にも慈愛すら感じられた。
それはまるで
お湯が体を温めるように
「髪もやわらかくて」
奥まで
「綺麗ですよ。」
響いた。
ほんとは服なんかより、体の汚れを気にしていたんだと
そんな単純なことに、この時初めて気づいた。
すーっと何かが溶けていくような心地がして
中途半端だった手を下ろし、妖怪の好きにさせることにした。
「傷、治ってよかった。」
入浴中に見た自分の身体を思い出す。
「あなたが治してくれたの?」
ずいぶん自分の声も穏やかになっていた。
「薬を塗っただけですけどね。私はよく怪我をするので、よく効く薬を使っているんです。」
「怪我…」
そういえばこの妖怪も怪我をしているんだった。
「あなたの怪我は?」
道でナイフを抜いたときは悲痛な呻きをあげていたのに
私が目を覚ましてから一度も痛そうにしない。
風呂に入る前にも同じことを訊いたが、明確な返答を得られたわけではなかった。
「妖怪は怪我もすぐに治るんですよー。だから明日には塞がります。心配しないで。」
「……そう。」
納得したように返したが、本当は信じられなかった。
だって人間はあんな大怪我したらすぐに死んでしまう。
奇跡的に助かっても、傷が塞がるには時間がかかる。
いくら長命な妖怪といえど、そんな治癒力があるものなのだろうか。
特に、この妖怪からは妖怪らしさがさっぱりうかがえない。
見た目も人間そのもの。
「ほんとに大丈夫ですから…。」
じっと上から下まで体を見つめていると
困ったように笑って膝をついた。
「あなたが心配することは何もありませんよ。」
そしてそっと私の背に手をまわして、距離を縮める。
「ここには何もないんです。あなたを傷つけるものも、あなたが傷つけてしまうものも。」
内心とても戸惑った。
だって
「だから心配しないで。」
こんなに優しい言葉も
「ここで…」
こんなに優しく髪を梳く手も
「暮らしませんか?」
はじめてだった。
「私たちならちょっとあなたが驚いてナイフを投げたって大丈夫ですし、部屋も空いてます。」
「私、たち?」
「ええ、この館にはたくさんの人がいるんですよ。まぁ人というか、妖怪ですけど。」
「あなたの家?」
たくさんいるということは、その長がいるということだ。
住むとなればその人、もとい妖怪に許可を取らなければならない。
「いいえめっそうもない。ここは、スカーレット家の館。」
―”紅魔館”です。―
息を呑んだ。
紅魔館といえば、”悪魔の館”と恐れられる吸血鬼の館だ。
まさか自分がそんな恐ろしいところにいたなんて。
「あっはは。前に連れてきた妖精も同じような反応でしたよ。」
でも妖怪は別段気にした様子はない。
「住んで…いいの?」
私はまだ、この館の、この妖怪にしか会っていない。
噂通りとても恐ろしいところかもしれないし、この妖怪だって本性はどうだか。
でも今の私は
「もちろんです。」
体を休めることのできる場所が欲しかった。
「さぁ寝ましょうか。」
頭をぽんぽんとたたいて立ち上がった妖怪は、それまでよりずいぶん大きく感じた。
「いっしょに寝るの?」
ここには1つしかベッドはない。
どこか別の部屋に連れて行く様子もない。
妖怪が出て行く様子もない。
「はい。部屋は空いているのですが、急なことだったので準備ができていなくて…。」
申し訳なさそうに言うが、私はあがりこんでいる身だ。
ベッドで寝かせてもらえるだけありがたい。
「いいの。部屋だってなくてもいい。おいてもらえるならそれで…。」
わがままを言うなら、本当はひとりが好きだ。
でもここは吸血鬼の館。
まだ主の許可を得たわけでもないのに、そんなことは言えない。
「そうですか、よかった。明日はちゃんとお部屋を使えるようにしておきますから
今日だけ窮屈でも我慢してくださいね。」
じゃあ寝ましょう、と灯りを消してベッドに入ると
大きな妖怪だと思っていたわりには、ふたりでも余裕があった。
「…ねぇ。」
「はい?」
動きもなくなって静かになったところで
顔の見えない今ならと話しかけてみた。
「やっぱりそのうち私を食べるの?」
「え?」
「じゃなきゃ、どうして助けたの?」
顔は見えないがずいぶん驚いたようだった。
それからふぅーっと少し長い溜息をついて、体をこちらに向けた。
「…おいで。」
慣れてきた眼でぼんやりと見えた表情は、とても真剣だった。
この妖怪のそんな顔ははじめてで、少し怖かったけど
わずかに空いていた隙間を埋めるように近づいた。
すると突然
ぎゅっ、と抱きしめられて体が強張ってしまう。
妖怪は何も言わない。
でも聴こえてくる呼吸は規則正しく、腕の力もだんだん緩められたので
私も力を抜いた。
するとまた少しだけ力がこめられて、それがとても心地よかった。
「寒かったんですよ、とても…」
しばらくして届いた静かな声はどこか
「寒かったんです……」
震えていた。
それ以上は何も言わなかった。
しばらくして腕の力が抜けて、穏やかな寝息が聴こえてきた。
そのからだはとても温かくて、私もまぶたを閉じた。
思えばこの妖怪は何も訊かなかった。
名前も、家族も、事情も。
いずれ殺す人間のことには興味がなかっただけかもしれない。
どっちにしろ、何も訊かなかった。
それが、決して潔白な身でない私には
嬉しかったのだ。
そういえば、私もこの妖怪の名前を訊くのを忘れていた。
妖怪らしくない妖怪。
今はこの妖怪の体温から、無性に離れたくなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おきてください。」
「ぅ…ん…。」
なんだか前髪をさわられている気がして、うっすら眼をあけてみると
朝日がふりこんでいた。
「さぁおきて。」
髪をなでる手の先を追ってみると
朝日と同じくらい爽やかな笑顔。
「おはようございます。」
「ぉ…は…よぅ。」
「かお、洗ってきてください。朝食はもうできてますから。」
のろのろと上半身を起こして目をこする。
どこからかいい匂いがして、寝起きだというのに食欲がそそられた。
それが手伝ってか、すぐに洗面台へと向かった。
蛇口をひねって手に溜めた水は、冬の冷たさを纏っていて躊躇してしまう。
でもやめるわけにはいかない。
そして、覚悟をきめいざ顔へ。
…目が覚めた
水を止めて顔を上げた先には鏡。
こうしてはっきりと自分の姿を見るのは久々だ。
前見たときはずいぶん酷い姿をしていたものだが
今の自分はだいぶんすっきりしていた。
部屋へ戻ると、さきほどのいい匂いがしていた。
「コーヒーにしますか?紅茶にしますか?それともミルク?」
テーブルの上にはトーストに目玉焼きにフルーツ。
こんなに明るい朝日を浴びたのも、誰かに起こされたのも、おはようと言われたのも
こんなに豪華な朝食を目にしたのも初めてだった。
まだ、夢をみているようだ。
「ごめんなさい。その…飲んだことないの。」
テーブルの上のそれらは、盗んだり、幼い頃に教会で食べさせてもらったりしたことがある。
でも飲み物の類は水しか知らない。
「そうなんですか?じゃあぜんぶ飲んでみましょうか。」
そう言って手際よく淹れてくれて、目の前に順番に1つのグラスと3つのカップをおいた。
「まずこれがコーヒー。そのままだと苦いのでミルクや砂糖を入れるといいですよ。
で、こっちが紅茶。これもちょっと苦味というか渋みがあるので、ミルクと砂糖をどうぞ。
そしてこれがミルク。寒いのでホットにしました。冷たいのも美味しいですよ。嫌いという人もいますが…。
グラスに入っているのは見たまんま水です。」
流暢に説明しながら、コーヒーと紅茶にミルクと砂糖を入れてくれた。
「よし、じゃあとりあえずいただきます。」
「いただきます…。」
まずは目の前のこれらを選ばなければいけないようなので
端から順に飲んでみる。
「どうでしたか?」
「……これにする。」
結局私が手にとったのは紅茶。
なんだかとても優しい味がした。
渋みがあると言っていたが、ミルクのおかげかほとんど感じなかったし、甘さもちょうどよかった。
「やっぱりコーヒーは苦かったですか。じゃあコーヒーとミルクは私がいただきますね。」
そう。
コーヒーとやらはとても苦かった。
あんなものを好んで飲む人なんて、信じられなかった。
くすっと笑って引き取った妖怪も、実は好きじゃないんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
「ああそうだ。お昼にでもフルーツジュースも用意しましょう。搾りたてはおいしいですよ。」
「私にばかりかまっていていいの?仕事あるんでしょう?」
昨日わかったかぎり、どうもこの妖怪はここの主に仕えている身分らしい。
ということは、何かしらの役割があるだろう。
「だいじょうぶですよ。お嬢様のついでですから。」
「お嬢様?」
「ここの主、レミリア・スカーレット様です。私はお嬢様の執事をしています。」
「執事…」
あぁ
そういえば前にも、こんなふうに腰の低い人間を見たことがあった。
そいつも偉そうな貴族の傍に立っていたっけ。
「もうずいぶん長い間スカーレットに仕えています。…さぁ、冷めないうちに食べてください。」
でもあのときの人間より、この妖怪はずいぶん楽しそうだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食は、あまりお腹が空いていなかったので特製のフルーツジュースだけもらうことにした。
甘ずっぱくてとても美味しかった。
そのときに
『6時くらいがお嬢様の起床時間なんです。それから挨拶にいきましょう。』
と言われ
現在少し大きな扉の前。
「お嬢様は少々カリスマぶってますが、緊張しなくても大丈夫ですよ。」
一度私に笑いかけ扉を開ける。
「失礼します。お連れしました。」
「さぁ入って。」
と小さな声がきこえて、まだ見ぬ主のいる部屋へと入る。
「それが昨日拾ってきた人間?お前って少女を拾ってくる趣味でもあるの?」
部屋の中にはふたりの少女がいた。
どちらも私より少し小さかった。
「まさか…。たまたまいつもこのくらいの子なんです。」
変なこといわないでくださいよ、と返した相手が
きっと主の吸血鬼なんだなと雰囲気で察した。
「で、住むのだろう?ここに。」
「はい。ちゃんと働くので、おいてください。おねがいします。」
平静を装ったが、内心、突然目が合ってとても焦った。
「まぁ別に私が面倒見るわけじゃないし、いいんじゃない?」
そんな私とは逆に
紅茶をひとくち啜ると、興味なさげにそう答えた。
「ありがとうございます。私が責任を持って教育します。」
満足げに頭を下げる妖怪に、慌てて私も頭を下げた。
「ところで」
顔を上げると、いままで黙っていたもうひとりの幼女が言う。
「昨日の話だと、あなたには何か力があるということだけど?」
「っ…!」
心臓がどくりと跳ねた。
「……」
どうして、と隣を見ると、妖怪からは笑顔が消えていた。
「それはどんな力?」
ふたりの幼女の視線は、まるで品定めをするように私から外れることはない。
「……時を…」
言葉がうまく出てこない。
「時?」
どうせいつかはばれる事なのだから隠す必要はない。
ないのだけど…
「時を止めることができます…」
「ほぉぅ…」
なんとなく悔しかった。
「それは面白い。その力、今日から私のために使うがいいわ。お前の名は…」
主はティーカップを眺めてからすっと妖怪を向き
「お前が決めておいて。」
と妖しい笑みを浮かべた。
妖怪は心底驚いたといった表情だったがすぐに
「かしこまりました。」
と頭を下げた。
「もういいわ。今日はそれについていなさい。何かあったら呼ぶから。」
妖怪はもう一度頭を下げ、私の肩を抱いて静かにその場から出て行った。
部屋に戻るまでどちらもしゃべらなかった。
今声を出したら、心の中をすべて言ってしまいそうで
さすがにそれはまずいと理性が抑えていた。
そしてそれは、部屋のドアが閉まった瞬間爆発した。
「知っていたのね。」
私は何も言わなかったし、妖怪も何も訊かなかった。
ただ”私”を見てくれているのだと勝手にそう思い込んでいたのは自分。
だが、この力を知っていたから優しくしてくれていたのかと思うと
無性に腹が立った。
「知っていたというわけではありません。」
「じゃあどうして?力のことを話したのはあなたでしょう?」
こんなに感情的になったのは初めてかもしれない。
「ナイフを磨いているときに、もしかしたらと…」
「ナイフ?」
長年使ってはいるが、特殊なナイフでもなければ、何か仕掛けがあるわけでもない。
そんなもので何が
「綺麗だったんです、刃が…刃こぼれひとつない。」
そうだったかしらと1本取り出して、近くでよく見てみると、たしかに綺麗な刃だった。
自分できちんと手入れをしていたが、そんなことには全く気づかなかった。
でも
「これで何が分かるっていうの?」
刃が綺麗なナイフなんていくらだってある。
これと力と何の関係があるというのか。
「こんなに綺麗なナイフなのに」
私の手からナイフを取って左手に持ち、刃先に右手の人差し指を添える。
「血がこびりついて、とれないんです…」
人差し指を柄のほうへずらし刃元で止まる。
少しナイフから視線を上げると
なぜか妖怪はとても哀しそうだった。
「何度も何度も。爪で削ったり金属で削ったり…そうやって、どうにか落とそうとしましたが」
刃先を自分に向けて私へ差し出す。
「とれないんです…」
受け取ってよく見てみると、柄の部分にわずかだが
もう血とも錆ともわからない、黒いものがこびりついていた。
きっとこれでも必死に落としてくれたのだろう。
「それに私は”気”を感じ取ることができるんです。あなたのナイフはどれも、重苦しい気を持っています。」
『気』というものが本当にあるのかは不確かだが
あるとしたら、きっと今まで殺してきた人たちのものだろう。
「それだけ多く投げられたはずなのに、刃こぼれひとつない。今まで投げてきた全てが、正確に当たっていた証拠です。」
「……」
「あなたは正真正銘人間です。しかしただの人間にこんなことはできない。だから…」
確かに。
それなら納得できる。
ナイフひとつで見破るなんて大した妖怪。
そんなところが
「ずるい…」
「え?」
なんでも見透かしてるくせに私には何一つ教えてくれない。
「そうやって余裕で優しさふりまいてっ…なのに!肝心なことは何も教えてくれない!!」
「ちょっ!落ち着いて…っ!」
持っていたナイフを思いっきり投げつける。
壁に刺さったナイフを見て、はじめてはずしたな、とどこか冷静な思考が働いた。
「何も知らないのは私だけでっ…!名前だってまだっ…きいて、ない…っ」
ナイフのなくなった手を握りしめると爪がくいこんだ。
目の奥が熱い。
「……っ」
そのとき、ふわっと大きなものに包まれた。
これはきっと
「”めいりん”」
暗がりで聴いた呼吸。
「美しい鈴で、”美鈴”」
穏やかな声。
「め、いりん…?」
「はい。ファミリーネームは紅と書いて”ほん”といいます。”紅 美鈴”」
大きな大きな背中。
「めいりん、めいりん」
「はい。ここにいますよ。」
「めいりんっ…」
「はい。大丈夫ですよ。不安になんてならないで。」
「…ぅぁ…っ…ふっぁ…めいりん、めいりんめいりんっ…!」
「……はい」
ぎゅっと抱きつくけれど
私の腕の長さではしがみつくのが精一杯だった。
かわりに美鈴の腕はしっかり私を抱きしめていて
声を上げるほど泣きじゃくっているのに、とても幸せだった。
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